おふとんの日常

blue-pink-sky’s diary

肝心の赤は見えずとも

 

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<JR東日本E259系Ne009編成 Nikon Z7+Z50mm F/1.8S>

 

日本で最も大きなJRであるJR東日本は数えてみると21種類の特急列車を走らせているらしい(※JR東日本HPより)。それに用いられる車両は形式にして10形式。思ったよりも少ないというのが正直な印象。個性的なそれぞれの車両の中でもひときわスタイリッシュだと思うのがN'EXこと成田エクスプレスE259系。僕の中では人気の高い先代の253系は個性的ではあれどスタイリッシュなのかと言われると微妙なところ。同世代の車両の中でも255系651系などと比較すると純粋な格好良さでは劣るかなという印象だった。それが代替わりし、近年の車両に特有の高運転台仕様、正面に入るロゴ、側面の連続窓、そしてアクセントの赤と、どこを取っても非の打ち所のない車両になった(もっとも今挙げた箇所の半分程度は253系も同様であったが)。しかも昨今の事情で減便になる前は12両編成が日中も高頻度でやってくるという、日本を代表する空港へのアクセス特急に相応しい看板列車。その運転頻度のせいで有難みに欠け撮影対象にならないというのが相反する悩みどころではあるのだが...。とは言え、総武線も千葉より先に東進すれば255系、E257系、E259系、209系、E217系E235系と様々な車種がやってくる。この日の目当てはもちろん255系であったのだが、すっかり冬の顔をするようになった真っ青な空を背景にファインダーを覗くと特に珍しくもないこの車両も主役の面構えをしているように見えた。

地下鉄

 

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<大阪メトロ30000系 31605編成 Nikon Z7+FTZ+AF-S70-200mmF/2.8E FL ED VR>

 

地下鉄というと当たり前だが地下区間。東京に住んでいると地上を悠々と走る地下鉄は直通先ばかり。せいぜい丸ノ内線東西線の高架区間新宿線の東、三田線の末端くらいだろうか。まともな写真が撮れるところなどそうない。しかし大阪の大動脈、御堂筋線の北側は大阪のビル街の中を堂々と高架で走る。神戸線は普通7両(新快速は12両だが)、大阪環状線は8両だが御堂筋線は全て10両編成。運転本数は平日7時台で神戸線が21本/hに対し御堂筋線は17本/h。全て普通列車、複線と複々線の差を考えるとものすごい本数であることがお分かりいただけるだろうか。そんな御堂筋線も気付けば老体の10A系はいなくなり21系と30000系が主役に。とは言え東京の地下鉄でくらいしか見ることの出来ない車種の豊富さも相まって楽しい撮影ができた。

異端児...異端老兵...?

 

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<阪神8000系8523編成 Nikon Z7+FTZ+AF-S70-200mmF/2.8E FL ED VR>

 

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<阪神8000系8523編成 Nikon Z7+FTZ+AF-S70-200mmF/2.8E FL ED VR>

 

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<阪神8000系8213編成 Nikon Z7+FTZ+AF-S70-200mmF/2.8E FL ED VR>

 

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<阪神8000系8243編成 Nikon Z7+FTZ+AF-S70-200mmF/2.8E FL ED VR>

 

阪神8000系をご存知だろうか。鉄道にある程度興味がある人ならそりゃ知ってるよという感じだろう。阪神8000系1984年から1995年にかけて(震災代替車を含まず)製造された阪神電車の優等用車両である。その在籍本数は非常に多く、阪神電車と言えばこの車両、というくらいよく見かける車である。しかし特筆すべきこととして、この形式は(比較的)近年の車両にしては非常に珍しいほどの形態差を持っていることが言えるだろう。そもそも製造時のパターンが俗にいうタイプIからタイプIVまでの4パターンが存在している上に、阪神淡路大震災によって被災し、編成組み換えと代替新造が行われたため、さらに言うなら後年のリニューアル時に車内改造も行われたが故にこの車両はなんともカオスな編成形態を持っている。

 

さて、カオスな車両として鉄道に詳しい方なら真っ先に挙げるであろう車両が8523編成(写真の1,2枚目)。ここで律儀に写真を確認しに行った方なら疑問に思うのではなかろうか。そう、1,2枚目と書いたのに1枚目と2枚目には全く違う見た目の車両が写っているではないか。目がいい人ならさらに前と後ろで主に窓まわりの車体構造が異なることにもお気付きなのではないだろうか。......そう、これこそ震災による被災車の生き残りなのである。

 

先ほど8000系にはタイプIからIVが存在すると言ったが、それぞれの違い(と言っても僕は電気周りや足回りは詳しくないので見た目で分かる範囲で)を軽くご説明するなら、

 ・タイプI    旧来の阪神電車の顔、2段窓

 ・タイプII   新しい顔、分散冷房、1段下降式窓

 ・タイプIII  集約分散冷房、顔が少し縦長に

 ・タイプIV  側面窓が連続窓風に

と言った感じである。細かい差異はあれど、見た目でわかりやすく尚且つ今も更新などされずに残っている特徴としてはこんなところなのではなかろうか。ところが実は初期車というのはまあまあレアで、タイプIは1編成、タイプIIは3編成の製造であった。ところが阪神淡路大震災によって8000系は11編成が被災。その中にはタイプIとIIが2編成含まれていた。幸い(?)タイプIIの8215編成は全車復旧を果たしたものの、タイプIの8201編成、タイプIIの8213編成はそれぞれ編成の3両を失うことに。

 

8201編成に関しては方向転換、改番を行い同じく被災車である8223編成(タイプIII)の中間車2両、そして代替新造車である8523号車を組み込んで新8523編成となった。この編成、元々梅田寄り3両に組成されていた8201編成の8201-8102-8002を方向転換、改番(→8102-8002-8502)して組成したため顔は前後で違う、車体構造もタイプIとIIIの混結のため車体の高さも窓のタイプも異なる、本来の付番方式から逸脱しまくりというトンデモ編成が出来上がったのである。そもそも他の8000系は82xx編成(xxは奇数)という編成番号なのにこの編成だけ8523編成というよく分からない編成番号になっているのである。これだけのことをしてまで(新8502号車に関しては先頭車としての向きが変わってしまったために改番時に床下機器をそのままひっくり返して他の車輌と配置を揃えるという大規模な工事まで施工されている)廃車にせず使える車両を使うというのは震災によって苦しめられた阪神の、なんとも苦い決断が見えるような気がする。

ちなみにこの8523編成はその特異な車体構造のせいで長らく直通特急運用に入らなかったが、現在ではその縛りは解除され他の8000系同様元気に走り回っている。僕は阪神淡路の時にはまだ生まれてすらいなかったが、震災を経験している車両ということで少しでも長生きしてほしいものである。

 

さて、話はこれで終わりかというとそうではなく、8000系には鉄道ファンに非常に有名な8523編成と対称的にそこまで有名ではない(※当社調べ)珍ドコ編成がもう1編成いる。それは8213編成である(写真3枚目)。上でタイプごとの分類を書いた際にタイプIIの8213編成が被災し3両を失ったことを述べた。この車両はではどうなったかというと、同じく被災編成である8217編成(タイプIII)の復旧車4両と編成を組んで新8213編成となった。復旧車が合計3両と4両で7両と両数が合わないのは旧8213編成の復旧車が梅田寄り2両と神戸寄り先頭車1両であり、この神戸寄り先頭車はまた別の復旧車(8221編成:先頭車1両が廃車)と組んだためである。タイプIIとIIIは冷房装置の変更により車体高が異なるので見た目で明らかな違いがあるが、そんなタイプIIとIIIが編成を組んで走っているのが現在の8213編成である。写真3枚目でも車体高の差が見て取れるだろう。こちらは先の8523編成に比べると顔が大きく異なるわけでもなく(そもそもあちらの下り先頭車は唯一無二の顔となったわけだし)、あちらは3両と3両なので写真にしてもわかりやすい。が、8213編成は2両と4両なので2両側が先頭になる梅田行きでないと写真にしたときに分かりにくいという難点がある。実際3枚目の写真も言われれば高さが異なるが、特段言われなければ気付かないくらいの差である。

 

つまるところ、上に挙げた写真は上から順にタイプI、タイプIII、タイプII、タイプIVの形態なのである。皆さんはどの形態が一番好きだろうか。僕はタイプIかIIIだが、タイプIの顔は下り向きでしか撮れず、しかも曇りだと微妙、そうなると阪神線内の駅撮りか直特運用に入ったときの山陽線内のごく限られた撮影地しかない。今回は偶然にも直特運用を引けたものの天気に恵まれず没カットとなってしまったが、こればかりは負けじとリベンジに出向きたいものである。一見すると数が多く非常につまらない被写体の阪神8000系であるが、よく見てみると編成内にバリエーションがあって面白い編成に出会えるかもしれない。震災は悲しい出来事である。ただいつまでもそれをネガティブに捉えるのではなく、どのような経緯であれこのような趣味的に面白い車両がいるのだからそれを詳しく見てみるというのもまた面白いのではないだろうか。

高嶺の花

 

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<JR西日本221系B10編成 Nikon Z7+FTZ+AF-S70-200mmF/2.8E FL ED VR>

 

当ブログにおいてものすごく珍しいJRネタ。JR西日本といえば新快速が有名。15分おきに12両編成の新快速がやってきて爆走するのは男心をくすぐる。しかし実のところ長距離輸送を担う新快速の下で地域輸送に従事しているのは快速だったりする。僕にとって快速といえば221系なのだが、網干所属の221系が入る運用は実はもうほとんどないらしい。ということで駅撮りではあるが221系の記録をしてきた。近年は奈良や滋賀への転属が目立つ老兵だが堂々12両で走ってくる姿はまだまだ現役を感じさせた。

出会い

おはようございます。おふとんです。

最近短めの電車記事を書くのにハマっていてしばらく雑記を書いてなかったので短めのを1本。

 

人間生きている間にものすごい数の他人と知り合うものです。もちろん知り合うことがあれば別れることもあるのですが、その中でも長い付き合いになる人というのはやはり一定数いるわけです。まあ人生所詮20年そこらしか生きていてない若造がこういう分かったようなことを書くと先輩方から怒られそうですが。

 

ともかく、その「誰か」と知り合わなければ経験しなかったようなことってありませんか。僕はたくさんあります。今の友人がいなければプロレスなんて一生知ることなかったし、(元々移動はお金をかけてでもなるべく速くがモットーだったので)大学入ってすぐにバス移動を覚えることもなかっただろうし、Apexを始めてVtuberにハマることもなかっただろうし、やたら京成線に乗ることもなかっただろう。

 

そうやって考えると、70だか75億だかいる地球人類がこんな風に人だけでなく様々な経験に出会って少しずつ人間が形成されていくというのはなんとも不思議な感覚です。

 

何が言いたいわけでもなく、ただこれを書きたかっただけの雑記でした。ちょうど列車が目的地に着いたのでここらで失礼します。本日もご覧いただきありがとうございました。

懐かしい記憶

 

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<都電荒川線7000型7022号車 Nikon D750+Sigma150-600mmC>

 

都電荒川線と言えば7000型。都営も粋なことしてくれるもので最後まで生きていたのは3色別の色だった。長いこと塗られていた旧塗装の鮮やかな黄色に赤帯の7001号車と対をなすような色褪せた黄色に渋めの青の7022号車。引退装飾も華美でなくイメージに合った素敵なものだったと思う。今考えればなぜこんなにいい被写体が東京のど真ん中を毎日走っていたというのにまともに撮らなかったのだろう。いつかは都営も7700型をこんな風に復刻してくれるのだろうか。

市内電車、標準色

 

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<富山地方鉄道市内電車8000形8004号車 Nikon Z7+FTZ+Z70-200mm F/2.8E FL ED VR>

 

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<富山地方鉄道市内電車7000形7017号車 Nikon Z7+Z50mm F/1.8S>

 

富山地方鉄道は鉄道線の他にも市内電車と呼ばれる路面電車富山駅を中心に展開している。6系統が富山駅から根っこのように広がって南富山、富山大学岩瀬浜などに向かって走る。環状運転も行っており、全系統が乗り入れる富山駅電停にはひっきりなしに電車がやってくる。地鉄市電というと古くは国鉄富岩線、元JR富山港線路面電車化した富山ライトレールとの南北接続事業で話題になったが、実際新幹線・在来線ホームのある高架下、駅コンコース内に堂々と存在する富山駅電停はなかなか圧巻であった。そして近年は流行りである低床電車が3車種も導入され(うち1車種は富山ライトレールからの継承車)それぞれセントラムポートラム、サントラムと名付けられている。しかしやはり個人的には富山地鉄といえば標準色を纏う7000形、8000形。7000形が重そうな広告を掲げて冬の富山市内を走る姿は図鑑で必ず見たことある光景なはず。いかにもレトロな見た目の7000形は未だに主力級の活躍を見せる。8000形は5両の在籍、見た目が単調な路面電車という感じでそこまでいい印象は持っていなかったのだが加減速を繰り返す度に美しいGTOサウンドを市内に撒き散らす姿を見てすっかり惚れてしまった。にしても路面電車の撮影はパンタグラフの位置による構図組みの難しさと車に被られるリスクでストレスフルなものだった...。いい位置を見つけると(路面電車の運行パターンと信号のパターンが必ず一緒なので)ほとんど被らなくなるがそれを見つけるのに一苦労。慣れない被写体の難しさを実感した。