おふとんの日常

blue-pink-sky’s diary

さよなら2020はじめまして2021

いよいよ2020年が終わる。

「2020年」。数のキリの良さからいよいよ新時代に入ったような気持ちで年を越してから既に1年。この一年は皆さんも大変な一年であったと思う。ここでは今までと全く異なるこの一年を振り返って総括としたいと思う。

 

私が新型コロナウイルスCOVID-19に対して本格的に危機感を抱いたのは3月。1月や2月はこんなことになるとは露知らず、大学に行き授業を受け放課後は友人と遊び、休みに入れば旅行に行く。こんな「普通」な日常を過ごしていた。

 

3月中旬。情勢を鑑みるに黄色信号が灯っているなとは感じていたが、そこまで重度の病気と考えてはいなかった。同窓会を企画し遊びの予定も入れ過ごしていた。そこで3月下旬、小池百合子東京都知事からの週末の外出自粛要請。私が今までに至るこの事の重大さに気付いたのはこのタイミングであった。もちろんそこから先に入っていた遊びの予定も中止、同窓会もキャンセル。貴重な機会を奪われたことに非常に腹が立った。

 

4月。大学は全てオンライン化。4月頭からオンライン会議システムZoomによる同期型授業がスタートした。迅速な対応には感心したが、オンライン授業は違和感しかなかった。

 

6月、一部の登校が解禁された。

 

以降はひたすら同じような生活の繰り返し。このように1年を振り返ろうとしても、アルバムの特定のページだけすっぽり抜け落ちてしまったような、そんな空白を感じる。

 

敢えて書くなら、今年の後半はプライベートで踏んだり蹴ったりで満身創痍。心身ともに打ちのめされてしまい、自分の趣味ですら楽しいと感じられない日々もあった。

 

 

では、一年をリニアではなく俯瞰的に見るとどのような一年であったか。

 

ずばり、今年のテーマは「変わらないもの」であったと思う。

多くの人はこの結論にクエスチョンマークを浮かべるのではないだろうか。今年はNew normalという単語が多くの人に広がっただけあって変化だらけの1年を過ごしたと感じる人が多いだろう。しかし私は敢えてここで「変わらないもの」を挙げたい。

 

私個人はこの1年で様々な変化に出会い(New)、そして適応すること(Normal)を求められた。友人と気軽に会えない、祖父母の家に行けない、一人が普通、部活ができない、全ての会議や授業がオンライン....。コロナ関連以外でも仕事先が変わったり、親族が家族を持ったりするなどの変化を体験した。

私達人間がこのコロナ危機を乗り越えるためにはこれら変化に適応することが必要だった。しかしこの新しい日常とやらは非常に厄介で、適応しようとすると私達の精神を蝕む。私達の心は日々花が散った後のたんぽぽのように綿毛になって四方八方に飛んでいく。

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私達はどうしたらたんぽぽの綿毛にならずにこの危機を乗り越えられるのだろうか。私が生活の中で導き出した精一杯の回答は「当たり前に感謝をすること」であった。

 

変化の中に生きていると、逆に変わらないものについて考えるようになるものである。常にある日と書いて日常。私達が生涯永劫続くと信じてやまなかった日常と呼ばれるものはたったひとつの感染症で崩れ去った。では今まで日常と呼んでいたものは何だったのか。日常などと言うものは本当は存在せず、私達が日々を過ごす中で永遠になって欲しいと願う些細な物事に勝手に名前をつけて考えることをやめていただけではないか。

今年多くの人が苦しい、悔しい思いをした。卒業式が出来ない、大切な人との別れができない、親しい人を亡くした、目標だったコンクールがなくなった、長年の約束をやっとのことで叶えられそうだったものを叶えられなかった....。私達は心のどこかで信じたいのだ。卒業のときには卒業式がある、大切な人とはきちんと区切りをつける別れができる、親しい人はまだ亡くならない、コンクールはスケジュール通り来る、長年の約束だから叶う....。でも、出来なくなったこと、悲しい思いをしたことは星の数よりも多いけれど、その中にも目を凝らしてみれば変わらない何かがあるはずだ。そう、私達がどんなに苦しんでいても毎年変わらずやってくる季節のように。

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私達がこの悲劇のような時代を生き抜くためには絶望を希望に変えていく力が必要だ。この変わらない何かを探すことのできる力こそ、必要な力なのではないか。

 

私はこのコロナ禍、人との繋がりを逆説的に感じさせられた。人との繋がりは人間にとって不可欠であるが、普段意識することは少ない。それほどに空気のような存在である。

 

人と会えない。代わりにZoomで定期的に会うようになった。直接顔こそ合わせられないけれど、顔を見る回数は増えたかもしれない。変わらないものは絆。

人とたまにしか会えない。代わりに会えた一回一回を噛みしめるようになった。変わらないものは友情。

大学にたまにしか行けない。でも行けたときに誕生日を祝ってくれた。変わらないものは良き友の存在そのもの。

 

人との繋がりは会えないこの状況で見えにくく感じる。しかし実際は目を凝らせば自分という存在の周りには数え切れないほどの友情という糸、繋がりがある。

この繋がりを実感できたとき、人は少し気楽に構えられるようになるのではないだろうか。少なくとも私はそう信じている。

 

 

もしも、この記事を開いてくださった皆さんに、ほんの少しの心の余裕があるならば、身の回りの人に「久しぶり、元気?」と声をかけてあげてほしい。私のように、独りぼっちで誰にも言えずに苦しんでいる人がきっといるはずだ。この状況に辟易していても生き残っていくためにはある程度生活に制約がつく。その制約の中でも、なかなか見えにくい人との繋がりを可視化する方法がある。

 

私は親友たちが苦しんでいるのを見て定期的なZoom会を開催している。彼らにとって人の温かみを感じることができる、帰りたくなったらいつでも帰ることのできる家のような場所になって欲しいと願いながら。

 

私は紅白を見ながらこれを書いているが、あと1時間ちょっとで年を越すことになる。今年一年、とても疲れたしと感じたし、30人弱から頂いた誕生日のメッセージの過半数に体を労るように書いてあったことからも実際に疲れたのだろう。コロナによる「日常」の崩壊、仕事先での上司との軋轢、大学でのいざこざ、独りぼっちの生活。七転八倒。しかし、冷静に振り返ってみると、薄っぺらくも「なにか」本当に大事なことを沢山学んだ気がするのだ。その「なにか」が何であるのか、私は今は結論が出せない。しかし一年を総括するに当たって、少なくともこの1年が完全な「無」であったわけではないと感じることができているだけ、この地下都市に住んでいるような状況に適応できているのだろう。

 

来年はどうなるのか、明るい年になるなどと決して私は言えない。いつまでこの状況が続くのか、世界を見ている限り半年は続くのだろう。しかし、明日に向かって生きる私達のゴールは明日ではない。私達の人生は人生が終焉を見かけるまで続く。いつか来るであろう、この悲劇の最期を見据えて、ここではこの言葉を書きたい。

 

明けない夜はない 。

 

いつかまた何事もなかったかのようにハグをしキスをし人の温もりを直接感じられる日が来るだろう。ただそのいつかが何時になるのか分からないだけだ。夜明けが来るまで、来年も頑張りすぎずいつも通りの生活を送ろう。

 

人間は不思議である。たかが地球がぐるぐる回っていることだけにあやかって、暦とやらを定め、その一周がもう一度はじまりに到達する地点を年末年始だと呼びお祭り騒ぎをする。よくよく考えるとなぜ年末が12月末なのか。でも今はそんなことはどうでもいい。今はせっかく年を跨ぐのだから、今年あった嫌なことを全て思い出し、そんな嫌なこと全てが過去のものになることを喜ぼう。

今年一年間お世話になった全ての人にこの場を借りて感謝をしたい。私がどんなに辛くても生きていられるのは支えてくれる全ての人がいるから。本当に感謝してもしきれないし、いつかそんなみんなを私が支えてあげられるようになれたら。

 

いよいよ残り1時間を切った。リビングには松田聖子の歌声が響いている。

2021年、全ての人に幸せが訪れますように。そして願わくば夜が明けますように。

Stay alive and stay healthy.