おふとんの日常

blue-pink-sky’s diary

進路で悩むあなたへ

進路。すすむみちと書いて進路。高校からの行く先についてよく使われる単語である。

進路、どうやって決めるのが正解なんだろうか。

 

私はとうの昔、具体的には高校生の時に文系理系を選択した際に進路はある程度定まったと言ってもいいだろう。いや、更に辿るなら文系理系は大学進学を前提としているわけで、そもそも進学校に通っていた事自体が自分のゆく道を大きく絞っていたのだろう。

 

今日日本ではおおよそ55%の生徒が大学に進学をしている。別にそれ自体は「ふーん」という程度の話であるが、一体その55%のうちのどれくらいが将来を明確に見据えて進学をし、進学した後も後悔せずに卒業するのだろう。

 

特段私は日本の教育制度について文句を言う気は毛頭ないが、現在の進学校で行われているような進路選択のスタイルはもう少し改善の余地があるのではないかなあ、と思わずにいられない。(もちろん私が全ての進学校を調査したわけもないし、ここに書くのは私の出身、母校であるとある進学校の話である。)

 

私はもういつのことだったか正確には思い出せないが、自分の進路を高校生の時に決めた。元々芸術系のことに非常に興味があった私は、それに少しばかり関係のある分野に進もうと考えて勉強をしていた。しかし元々勉強のあまり好きではなかった私は、きちんと日々の勉強をこなすことが苦手だったため、中学1年生の時からそこそこの成績こそキープしていたものの目標の大学に進学するには不安の残るような学力だった。

高校3年生の夏、私はひょんなことからとある大学の推薦入試の存在を知る。その大学は私が元々考えていた進路とは全く異なるものであったが、理由があってその学部学科は検討したことのあるところだった。

高校3年間、私は勉強をあまりしない代わりに「後悔しないような高校生活」「やりたいことは全て実現する」をモットーとして生活していたため、少しでも興味が湧いたものは手を出してきた。文化祭の実行委員幹部、中学高校生徒会、そして最終的に生徒会の中枢を担い、部活もやりたいことで新たに立ち上げ部長になり、外部の英語討論イベントにも参加した。ここまで書くと内申点稼ぎ、みたいに思われそうだが私は純粋に楽しいからこれらのことをやっただけであるし、何ならこれらのことを経験できたのは運の良さもあった(運が良くないと特段なにもない私が重要なポストに就くことが出来るわけもなく、偶然お世話になった先輩からそのポストの話が回ってきたり、何となく入ってみた生徒会からツテでポストを頂いたりしただけだ、ってこうやって書くとものすごく悪徳というか癒着みたいだけどそういうことではない)。ここで経験できたことは非常に大きかった(このこともいつか記事にしてみたい)。

 

閑話休題

 

何が言いたいかというと、これだけ所謂「内申点稼ぎ」が出来ていれば推薦入試なら合格の希望が少しは見えるのではないか、と当時の私は考えたわけだ。

 

ちなみに推薦制度について勘違いされている方をよく見かけるし、そういう方を見かけると非常に悲しくなるのでここでざっくりと書いておく。

一般的に大学入試の推薦制度は3種類ある。細かく分類するとインターナショナルバカロレア入試やスポーツ推薦、地域選抜もあるので一概にいくつ、とは言えないがざっくり分類するなら「指定校推薦」「公募推薦」「自己推薦(AO入試)」だろう。呼び方は場合によって違うので、自己推薦は総合型選抜などと呼ばれることもあるし、指定校推薦と公募推薦は後述の性質によって学校推薦型選抜などとまとまって呼ばれることもある。

この3種類の推薦が異なるのは何かというと、まずはAO入試は他の2つでは必須な学校(学校長)からの推薦が必要ではない。対して公募推薦と指定校推薦は学校が出願を認めた場合のみ出願できる。また、指定校推薦は高校ごとに選抜枠という「椅子」が割り当てられており、名門進学校になればなるほど椅子を多くの大学からもらえる事が多い。またその性質上指定校推薦を利用して進学した生徒の学業や素行があまりに芳しくないときにはその生徒の母校に割り当てられている椅子が減らされる、なんて言うこともある。つまり、指定校推薦は高校内で枠(椅子)をゲットさえできれば高確率で合格するので、どちらかというと高校内で誰がその椅子を得るのかの方が問題になると思う。そして公募推薦は学校推薦が必要で、定員数分だけある椅子を目指して全国から集った受験者の中で勝ち上がらないといけない、つまり競う基準が純粋な学力かそうじゃないかだけで、(これはAOも同じではあるが)一般受験と同様に勝ち上がらないと合格は掴めない。ちなみにAOと公募だと一般にはAOの方が単純学力以外で求められる「何か」の基準は高い。例えば生物オリンピックで優勝したとか、そういう次元の話である。所謂名門大学では生徒会長程度では蹴り落とされてしまうだろう。

推薦生は馬鹿、みたいに思われる人が一定数いらっしゃるが、それは全くの嘘である。もちろん一定数の母数があれば馬鹿と呼ばれるような人が混ざっている確率はあるだろうがそれは一般受験も同じ。どちらが頭がいい、どちらが優れているという話ではない。単純にその人の能力を判断する切り口が少し異なるだけである。

 

再び閑話休題

 

話はどこへ戻るかというと、進路を決定したはずの私に舞い込んだ推薦制度の話に心が揺れているところまでである。

 

私は悩んでその推薦入試を受けるだけ受けてみることにした。受験するだけタダ(受験料がかかるとかそういう話ではなくて)だし、練習にもなるし、受かればお得である。ちなみに公募推薦は基本的に辞退ができない。なので私はこの推薦を受けて、受かればそこに進学し、落ちたら一般受験をすることと決めた。そうすると勉強はそれまで同様に続けなければならなかったので、推薦入試の対策は最低限にすることにした。私が受けた推薦は学校からの推薦書(内申書)、自己アピール書類、当日の小論文2種、個人面接、グループ面接から成るものだった。そもそも推薦は過去問と呼ばれるようなものがなかなか出回っておらず、しかもこの大学の推薦制度は始まったばかりなので過去問が見つかっても一年しかないので正直何を問われるのかは分からず、過度な対策は無意味であると思った。

 

そして結論から言えば11月の入試本番を経て、12月中旬、私は晴れてこの大学に合格したのであった。高校ではクラスで一番最初に合格が決まったので、クラス中、いや、クラスを超えて学年中からお祝いの言葉をもらった。私の母校は非常に生徒の質がよく、真面目でいい奴ばかりなので誰一人として先に合格したことに対する嫌味などを投げてくる人はいなかった。

 

合格してからは、1月頭までは登校があったのでその間は周りの皆と同様に勉強し、センター試験の勉強をし、冬休みは学校の冬期講習に参加し、なぜか受験が終わってから受験勉強を始めて以来最高の成績を獲得し、自由登校期間は週に2回ほど登校しては周りの友人の勉強を見たり、精神的に辛そうな人の相談に乗ったり、面接の練習をしたりした。そして時は流れ3月に高校を卒業し、4月に大学生になった。

 

大学1年生は刺激的で、高校とは全く違う環境に身を置くことに恐怖や不安、そして期待を抱いていた。中学高校6年間の友人はお互いにアイデンティティ形成に影響しているためか、どこか皆似ている人ばかりだった。大学に入ってから出会う人達は今まで知り合ってきた誰とも違うタイプの人が多く、最初は付き合い方が分からずに悩んだ時期もあった。授業自体も内容も、これまた高校とは全く異なるものばかりで非常に新鮮だった。1年生で習うことは主に所謂教養科目と呼ばれるもので、第2外国語でドイツ語を学んだり、心理学を学んでみたり、宗教学の授業で人や宗教、信仰について考えたりした。1年生の勉強は私にとってどれを取っても非常に新鮮であり、中には苦労をした数学や化学もあったが、それでも初めて学ぶこと、学問を修めることの楽しさを知った。

 

そして大学2年生になり、専門科目の勉強が始まった。私の在籍している学科は基本的にまず知識を詰め込んでなんぼ、なところがあるので、専門科目はひたすら膨大な量の専門用語や知識の詰め込みとそれを確認する実習で成り立っていた。専門が始まって3ヶ月ほどは私も興味を持って勉学に励んでいた。授業は綺麗にノートを取り、必要とあれば自分で問題を作成して友人と解く、分からないことは友人と勉強会を開きそこで解決する。試験前は最低限の勉強をして臨む。

 

しかし、しばらく経った頃、私は漠然と考え始めた。「私はなぜこれを勉強しているんだろう」と。勉強が嫌になった、というより根本的に興味が薄れてしまったのだ。いや、元々そこまで興味がなかったのに専門が始まるからと張り切って気合を入れていただけなのかもしれない。どちらにせよ、やる気を失った私は勉強のサイクルが崩れていき、試験に合格するためだけの、一夜漬け勉強だけが残った。

 

そんな中、秋も終わり、冬が始まる頃に高校からの親友と食事をする機会があった。彼は私の元々の進路と同じ道を目指しており、クラスに何人かいたその学科志望の友人の中でも彼はダントツで成績トップ、そもそも彼は定期テストで毎回のように学年でトップであった。彼は私が当時第2志望に据えていた名門大学に進学し、ずっと学びたかったことを学んでいた。1年生の頃、彼の大学は相当なハードワークを強いる大学であり、課題ばかりに追い回されてそれが精神を蝕みかけていた。しばらくぶりに会う彼はどこか楽しそうで、大学の近況を聞くと、嬉しそうに笑いながら今やっていることを写真を交えて説明してくれた。その時も相当課題に追い回されてはいるようだったが、1年生で身につけた基本技能を生かしていよいよ専門領域の「やりたかったこと」に辿り着けたようだった。

 

そんな彼について少し書いておくと、彼は非常に真面目である。私の周りには私の不真面目さから考えもつかないほど真面目な友人が多い。でも彼は真面目なだけでなく努力家である。私の母校は超天才はいない。2番手、3番手の学校なので努力で勉強をしてきた人たちが入ってくる学校だった。彼も例に漏れず、努力だけで学年トップをキープしていた。大学に入ってからもそれは変わらないらしく、彼は成績も相当優秀らしい。彼自身は当たり前のことだから「勉強」と呼ばないが、彼は勉強をするための勉強をするような人だ。例えば、発表スライドを作るような課題が出たとして、彼はスライドを作る前にスライドに載せる絵の描き方を勉強し始める、そういう性格をしている。

そんな彼だからこそ、一生懸命に課題をこなしていく様は眩しくて、尊敬に値する。

 

三度閑話休題

 

私は彼と話して心底羨ましく思った。自分が諦めた、というか選ばなかった進路でそんなにも活き活きしている人を見て、自分のやっている勉強は全く面白くないんだな、と改めて感じてしまった。正直自分が今いる大学に進学することを決定したときに、元々目指していた進路は完全に諦めがついたと思っていた。しかし同じように専門領域の勉強に入っていく自分と彼を見比べて、自分のしていることが情けなく思うようになってしまったのだ。

 

ここまで読んでいただいた皆様には申し訳ないが、この話にオチはない。別に私が急に進路を変えて再受験をしたとか、実はその後彼は専門が楽しくなくなってしまい私も諦めがついたとかそんなことはない。ただ私は今、大学生として学問を修めることがどのようなことであるか、またその前の進路を選ぶ段階がいかに重い判断であるのか、非常に重く実感している。

だから私は、この記事が進路で悩む全ての高校生に届いて欲しいと願いながら私の実体験を書いている。

 

進路。すすむみちと書いて進路。進路を選ぶのは高校生である。果たして高校生は進路を選べるのだろうか。私はそうは思わない。だって大学生である私が未だに進路に悩んでいるのだから。

進路を選ぶのははっきり言って博打である。今考え得る最善の選択をしたとして将来後悔しない、なんて言い切れない。逆に適当に選んだ進路が一生の友となることもあるかもしれない。しかし、せっかく一生で多くの人は1度しか経験できない進路選択をするのなら、なるべく後悔しないように選択をしてほしい。そのためには何が必要か。

 

私は生きた声だと思う。

私が今回進路選択が正しかったのか本格的に悩むきっかけとなったのは、上の彼の話を聞いてからである。しかし、彼が1年生で苦しんでいる話を聞いた時、私は「ああ、もしあっちに進んでいたら心が折れてしまっただろうな」と思った。しかし大学生になって分かるのは、大学生の学問は最初はあくまで前提であって、その後に来る応用が真髄なのである。1年生で学んだことはあくまでも土台であり礎。だからこそ彼がその土台の上に立てた2年生の学びという立派な建物を見た時初めて私は羨ましいと心底思ったのである。

何が言いたいか。高校では恐らく一定以上の進学校では卒業した先輩の話を聞く機会が設けられているだろう。しかしその先輩の話は本当に「生きた」話だろうか。物事が本当に面白いのか、自分に向いているのか判断するためにはその物事をかじった人ではなく、真髄まで辿り着いて理解をした人の話を聞かなければ意味はない。実際私は高校在学中、進路相談会なるものはあれど、今彼に聞いたような話を先輩から聞いた覚えはない。

 

この話を読んで、何を若造が、と思われる方もいるかも知れない。まだ大学生の分際で何を分かったようなことを、とか、真髄まで辿り着くとか書いておいて聞いた話は2年生の話じゃないか、とか。でもそれでも、私は現時点での私なりの回答をここに記しておきたかった。もし今進路で悩んでいる人がいたら全力でその人の力になるために。

 

進路で悩んでいる人でこのブログまで辿り着く人はいないかもしれないけれど、もしも普段読んでくれている皆さんの中に受験を控えた人や高校の後輩などがいたら是非この記事を紹介してあげてほしい。決して閲覧者数稼ぎなどではなく、悩んでいる人の力になりたいから。

 

そしてもし進路で悩んでいる人がこのブログまで辿り着いたら。

進路は自分で選ぶものです。つまり自己責任。しかし裏を返せば自分の好きなようにできます。後悔しない選択をしてください。そのためにも、「生きた声」を集めてみてください。集める方法はいくらでもあります。学校の先生に相談したり、兄や姉、その友達に話を聞いてみたり、親に頼ってみたり。大学の学問は真面目に修めようとするなら興味がないことだと辛いです。高校とは違い、深堀りをするための場所が大学です。そんな大学で自分が最も好きなことを学べるように、進路を考えてみてください。

私には特段誇れる才能はありません。せいぜいまあまあな精度の相対音感があるとか、ブラインドタッチができるとか、ゲームがそこそこにできるとか、写真がまあまあ撮れるとか、そういうことしかありません。楽器は弾けないし、スポーツも出来ないし、勉強もそこまでできないし、音が色で見えたりもしないし、超人的な暗記が出来るわけでもない。だからこそ進路を決めるのは苦労しました。自分が本当に興味があることを探すのは大変で、結局進路を定めた後もこうして悩んでいます。

もちろん才能がある人が進路を決めるのが簡単であるということではありません。その才能を活かす方向で進むのか、それともそれと将来は分けて考えて別の分野に進むのか、はたまたそれを将来的に活かすために大学では人間性を磨こうと決めたり、そもそも大学に行かない選択肢だってあります。

でも、結局、才能があろうとなかろうと、「今出来ること」という枠に囚われて進路を決めてしまったら絶対に後悔します。進路は「できる」ではなく「したい」で決めるものです。当たり前のことを書いているように思うかもしれませんがこれは非常に難しいことです。これはやってみたいけど出来ないかもしれないからこっちにしておこう、みたいな発想で進路を決めてしまう人は沢山います。それでも後悔しない人もいるでしょう。でも多くの人はその後未練に悩まされると思います。極端な話、「出来るけどやりたくない」で東京大学の興味のない学部に入るくらいなら、「やりたい」で選んだFラン大学(言葉が失礼で申し訳ありません)の方が満足できるかもしれません。安定・安泰を求める人もいるでしょう。生涯賃金や平均年収が頭をちらつくと思います。分かります。実際大学を出て就職してその仕事に少しでもやり甲斐を見いだせれば、家族を養うことが人生の目標になって満足に暮らせるかもしれません。でも、その前に大学で学問が修められなければ意味がありません。自分の限界値を知っているのは自分だけです。

結局のところ、私が進路選びを間違えてしまった以上、私からアドバイスできることは多くありません。しかし、私がしたような後悔を誰にもしてほしくありません。だからこそ、もし進路で悩んでいる人がいたら、今一度、面倒くさがらずにじっくりと考えてみてください。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。