おふとんの日常

blue-pink-sky’s diary

言葉

言葉には力があるということを覚えておけ。

 

 友人のSNSに書いてあった言葉。人間は言葉というとても便利なツールを自在に操ることができるが、その一方当たり前なことすぎて言葉には大きな力が秘められているということを忘れがちである。

 

 その友人のSNSでは「言葉には力がある」というフレーズは、簡単に口約束をするな、出来ない目標は最初から立てるな、というニュアンスで説明されていた。昔から計画を立ててそれに沿って行動することが大の苦手だった僕にはとても刺さる言葉である。

 もちろん夏休みの宿題は最終日にやってたし、何なら夏休みが終わって2学期が始まってから提出日とにらめっこをしてその前日に一つずつ消化していくというスタイルが中学に入った頃から確立されていった。それを見かねた親に宿題のリストアップと計画を立てろと言われひとまず紙に起こすはいいものの、初日からその計画を破ってしまっていた。

 世の中には僕のこの話を聞いて共感できる人もいくらかはいるのではないだろうか。

 

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 さて、それはさておき、人間は見栄を張る生き物であると僕は思う。ある物事Aに対して「これは出来ますか?」と他人から聞かれたとき、正直出来るかなぁと思っていてもつい「出来ます!」と見栄を張ってしまいがちであり、特にその「他人」との間に年功序列なんかの関係性の傾斜があればなおのことだろう。例えば部活動や仕事で何かを頼まれて、ついうっかり「はい」と返してしまう。ここで大事なことは、もし頼まれた仕事を完遂できなかった場合、もちろん先方にも迷惑がかかるし、仕事を結局出来なかったという自責の念や罪悪感にかられ自分にまで悪影響が出てしまうことだろう。

 つい反射で返した言葉が人間関係を円滑に進める上での足枷となってしまうのである。

 

 偉そうにツラツラ書いて申し訳ないのだが、ここでもう少しだけ偉そうに書かせてほしい。

 今上で書いたことを読んで、「そんな大げさな」とか「それくらいで相手も自分も気持ちに大きな影響出ないでしょ」とか思った方は是非この記事を最後まで読んで、冒頭の言葉には大きな力があるという言葉を忘れないでほしい。

 

 人間というのは当然1人1人が違う性格をしている。自分が思うこと、考えること、感じることはあくまで自分にしか適応できないのである。もちろんある程度推測をすることは可能だけれど、それはあくまでも推測でしかない。「大げさ」とか「そんなこと」というのはあくまでもあなたの感性での話なのだ。

 

 僕は他人からかけられる言葉が怖い。対面して顔を見ながらならある程度相手の感情も推察しながら会話ができるが、これがSNS上のやり取りとか、顔の見えないコミュニケーションになると全く状況は違う。

 例えば、あなたがもし男性ならば(女性でもある人もいると思うがここでは確率の話、ジェンダー論は今は求めてない)仲のいい友達同士で「お前ふざけんなよ死ねよ~」みたいなやり取りをしたことがある人も多いのではないだろうか。こんな当たり前なことを書くのも馬鹿馬鹿しいのだが、これはお互いの仲の良さが前提で、そこに表情や声のトーンといった情報(一般に言うところのノンバーバルな情報)が加わって初めてお互いの間で冗談であるという認識が成り立つ。

 ところがこれが例えばLINE、あるいはメールでのやり取りであればどうだろう。いくら仲がいい友達でも「死ね」という無機質な言葉が送られてきたら、一瞬ヒヤッとするのではないだろうか。

 

 これはあまりにも極端な例を出したが、要は全て同じである。僕みたいな人はノンバーバルコミュニケーションなしで伝わってくる言語の裏に存在する相手の感情や心理をいちいち推察しようとしてしまうのだ。しかもたちが悪いことに推察はだいたいポジティブよりネガティブに行われる。

 仕事の連絡や友達との何気ないやり取りですら、相手はもしかしたらこういうことを考えているのかもしれないなと余計な気を回してしまい、疲れてしまうのである。そして最終的に疲弊してもうほとんど誰とも(ごく数人の本当に気軽に話せる人を除いて)やり取りしたくなくなってしまうのである。

 これの最悪なところは、そうやってSNSなどのやり取りに苦手意識を持つと、そもそもアプリを立ち上げて新着メッセージを確認する回数が減る。そうすると一度開いたときに溜まっている未読メッセージの件数が増える。それを全て確認しようとすると読むのも返事をするのもいちいち余計に考えてしまい、場合によっては未読のまま残してしまう。そして返事をしていないことへの罪悪感や追加で怒りのメッセージが来ているのではないかという心配から余計にメッセージを確認しにくくなりさらにメッセージの確認をしなくなる。そうすると未読件数がまた増える。もうお分かりだろう。これは循環してしまうのである。

 

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 LINEというのは僕が中学生くらいのときに一気に普及し、学校のクラスごとのLINEグループが作られるようにまでなった。まだスマホを持っていなかった人もそこそこいたが、そういう人たちも少しずつタブレットやらスマホやらパソコンやらでLINEを始め、今となってはもはやLINEは昔のメールの代わり、オンラインでの連絡手段の代名詞となった。しかし、便利であるのは事実なのだが(メールのように別の人が同時に返信して話が混線するようなこともないし)、LINEの普及、スマホの普及によって常に連絡が取れる状態が当たり前となった。特にコロナ禍に入ってからというもの、オンラインで何でも済んでしまうためだいたいみんないつでもLINEで連絡が取れて当たり前、という風潮である。これを気にしない人も沢山いるのだろうが、僕には生きづらくてしょうがない。常に誰かと繋がっているというのは息苦しいし、前述の理由でそもそもLINEでのやり取りが苦手な僕にとってはより「早く連絡返して」オーラが強く出ているような気がしてならないのである。既読システムも個人チャットにおける息苦しさを増長しているように思える。既読を付けたら一刻も早く何かを返さないといけないように感じてしまうし、僕のような性格だと適当なスタンプを一つ返しておしまい、というのは出来ない。

 

 ここで最初の話に戻るのだが、例えば自分なりの目標を立てたり、仕事を頼まれたりしてそれが達成できないと少しずつ分かってきたとき、もしかしたらあなたはこう思うかもしれない。「じゃあ誰かに頼ればいいじゃん」と。それができれば苦労しないのである。前述の話を総合して分かっていただけるのではないかと思うが、「助けて」の連絡一つ寄こすのにも大変な労力が必要だし、そもそもそんなこと相手にどう思われるか分からなくて申し訳ないのでできないのである。

 

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 ここで一つ視点を変えたい。今まではオンラインコミュニケーションについての僕の悩みだったのだが、かといって仲が良くて面と向かっているからと言って何を言ってもいいわけではない。当たり前なのだが。

 

 言葉には大きな力があるのである。それこそ本気を出せば自分の手を汚さずに人間を殺してしまうことすらできる力が。

 

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 最初にも言ったように、多くの人間にとって喋るという動作はあまりにも日常茶飯事で、何かの議論とかでないと頭を回転させて相手に言葉を投げることをしないと思う。これが非常に厄介で、たぶん人間は話し相手と仲が良ければ良いほど脳死で会話をすると思う。だからこそ仲がいい相手には遠慮なく何でも言ってしまいがちである。しかし、親しき中にも礼儀あり、仲がいいからと言って許されることとそうでないことがあると思うのだ。

 これまた極端で失礼な例で申し訳ないのだが、自分が太っていることがコンプレックスに感じているAさんとその親友Bさんが話していたとして、いくら親友だからと言ってBさんがAさんに「さすがよく食うな。お前デブなだけあるわ。」と言ったらAさんはどう感じるだろうか。この時恐らくAさんは「はは、Bは親友だけあって冗談がひどいな」と捉えずに「親友のBまでそんなこと思ってたのか、そっか...」と思うのではないだろうか。仲がいいからこそ、投げられた言葉の槍は相手に深く突き刺さることも結構ある。外野から言われても「ふーん、まああいつは俺のことよく知らないしそう言うんだな」で終わるかもしれないが、内野からの思いがけない死球は相手を殺しかねないのである。

 話し言葉は記録には残らないが言われた本人には刻まれて残り続ける。例えその傷が癒えたとしても、傷ついている間に起きた出来事は未来永劫永遠に変えることが出来ない。あなたの一言で誰かの人生を変えてしまうかもしれないのだ。

 

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 本当に偉そうにダラダラと書いてきたが、本当に言葉が持つ力というのは計り知れない。もちろん上手く使えば誰かを救ったり癒したり励ましたりも出来る一方、悪用すれば誰かを再起不能に陥らせることも出来る。しかもそれはもしかしたらあなたの知らないところで起きているかもしれない。

 

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 僕みたいな人間は社会では少数派だと思う。実際上述のLINEの話をして理解してくれたのは今まで一人しかいない。それでも、オンライン・オフライン両方のコミュニケーションにおいて僕のように困っている人がいたら少しでも救われてほしい。

 もしあなたがこの記事に共感できない「多数派」であるならば、少しでいいから頭の片隅に言葉の持つ力を入れておいてほしい。人間意識をしていないところで誰かを傷つけるものである。特にお酒の入った時なんかは最悪である。でも少しキツい言葉を冗談でも言ったとき、あるいは身近で言われているのを見たとき、1秒でもいいからこの記事を思い出して、「あれ、大丈夫かな」と考えてほしい。世の中に蔓延するいじめというものも、一人一人がこれを意識するだけでかなり減るのではないかと思う。別にいじめ撲滅とかそんな大層なことを掲げるつもりはないが、一人でも多くの人が傷付くのを未然に防げたらいいな、そんな風に思う。

 

 

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夜な夜な何か記事を書きたいと思ったんですが、写真は一個前の記事で上げたし何か書く題材ないかなと思っていたらふと思い浮かんだので書いてみました。深夜テンションで一気に書いて読み直してすらないので(正直恥ずかしいので読み直したくない)、読みにくいところとかあるかもしれません、スミマセン...。あと写真は文字だけだとつまらないなーと思ったのでイメージ画像として入れてみました。一応セクションごとのイメージに沿って選んであります。

でも少しでも多くの人がこの記事を読んでくれるといいなと思っています。最後までご覧いただいた方、長文にお付き合いいただきありがとうございました。