おふとんの日常

blue-pink-sky’s diary

裸の王様

クリスマスイブですね。メリークリスマスってクリスマスとクリスマスイブどっちに使う言葉でしたっけね。クリスマスに人と会うことってあんまりないからよくわかりませんね。

 

世間は浮かれた気分ですが今日も今日とて悩み記事。

 

世の中には年功序列という言葉がある。儒教から広まったとされるこの考え方は日本社会に深く根付いている。社会生活に於いてよっぽど仲が深くない限り歳上は絶対とされ、敬語を使い、敬い、基本的に否定をすることはない。

 

自分が少しずつ大学の中で上級生になるにつれ、年功序列を強く実感するようになってきた。自分に意見を述べる人は少なくなり何かを提案したときに却下される回数も減った。結局思ったことをストレートに言ってくれるのはだいたい同期だけだと思う。

これは色々言われないで好き勝手したい人にはいいかもしれないが、好き勝手しすぎればもはやみんなに形式上敬われているだけで内心誰にも信用されていない先輩になってしまう。

 

進行形で部活内の上級生として後輩を率いる立場としてそれなりに考えてみんなの利益になるように選択して行動しているつもりだった。でもふと思えば、自分目線では自分の要求や自我を消して社会全体の利益が増大する方向に行動しているつもりでも、第三者目線では「僕の自我」で行動しているように見えているわけだ。上級生の僕の自我で選択された行動に文句を言える人は実質まあいない。結果的についていきたくなくても仕方なくついていくしかなくなっていく。でもみんなの心はどんどん自分から離れていく。

 

もうかれこれ2年前、人間不信に陥って以来僕は未だに人間が信じられない。出会い頭に怖いと感じることは知らないコミュニティ内でしか起きなくなってきたが、どれだけ仲がよくてもいつ嫌われて自分の前から消えていくのかという漠然とした不安がいつもつきまとう。こういう不安を感じずに「きっと何も話さず急に友達をやめられることはないだろう」と思えるのは10年の付き合いがある中高の親友くらいだ。今大学で本当に仲良くしてくれている友達ですら明日は友達じゃなくなっているかもしれないっていうことを考えながら過ごしている。だから自分に向けられた負の感情とか言葉とか仕草とかに敏感ですぐにこうやって思い悩むし、どれだけ仲がよくてもうだうだしためんどくさい悩み事や自分の弱点をフリーで晒す気にはなれない。自分のダメなところを見て相手が幻滅してしまったら。自分が一生懸命作り上げている立派で尊敬される素敵な人間像が壊れてしまったら。

 

だから悩みや弱音が出てきても結局いつも本心で包み隠さず相談することがなかなかできない。こうやって小さなヒビが積み重なって最終的に修復が極めて難しい地割れになっていく。いつも自分はサンドバッグ、みんなのために使い古されて使えなくなれば捨てられる。きっとそんな存在なのだ。

 

世間はクリスマス、みんなの幸せが末永く続きますように。