おふとんの日常

blue-pink-sky’s diary

しんどい

社会不適合に社会生活は厳しいものがある。

 

僕は昨年度は大学にほとんど通っておらず、今年度1年ぶりの大学に復帰したのだがいきなりの実習生活がしんどい。

コロナ禍、ずっとオンライン時代を経て落とした体力はどうにか昨年度動き回って取り戻した。でも社会生活を送るのに必要なのは体力だけじゃなくて気力や環境の整備、色んなことがあるだろう。

今年度が始まった時、学科にはほとんど友達が0からスタートした。最初の2ヶ月間、友達を少しずつ作りながら毎日登校する生活に体を慣らしていった。でも体が慣れたからと言って心が追い付くわけではなくたまに大学に行けない日もあった。それでも何とか2ヶ月を過ごした。

 

6月、研究室が始まった。研究室が始まると2ヶ月間通常の授業や実習はなくひたすら研究室に打ち込む期間となっているのだが、僕の研究室は毎日しっかり登校して研究を行うようなところだった。最初のうちはどうにか普通に通っていたのだが、少しずつ慣れない環境、慣れない人間関係に疲弊してきた。僕は何かを学ぶときにその根本の原理から気になるタイプだったが、それが煙たがられたようで先輩にはあまりいい顔をされず、日々迷惑をかけている感覚が蓄積し最後は配属先の先生にちょっとした注意をされた結果結局登校不可能になってしまった。

一般の人、健常な人にはこれがどういう感情なのか分からないだろうけども、僕みたいなタイプの人は周囲の人の感情に機敏すぎてちょっとでも周囲から負の感情を感じ取るとそれが自分の心にダメージを与えるのだ。実験の途中、昼休みはほとんど毎日お弁当を作って持って行っていたが珍しく外食した日、先輩のお昼休みがだいたい1時間半あることを知っていた僕はゆっくりとお昼ご飯を味わって1時間半後に研究室に戻った。すると先輩は「今日は遅かったね」と声をかけてきた。これが普通の人なら普通に受け流して終わるのだろうが僕にはその時の先輩の困惑と迷惑を混ぜたような顔が見え「なんでお昼休みは基本1時間って言ってるのに1時間半も帰ってこなかったの?」に聞こえてしまう。周囲の顔色ばかり窺って生きてきた弊害で気の置けない人以外とのコミュニケーションは本当に疲弊してしまう。

 

結局7月の中旬以降は1日も研究室に登校できないまま7月31日の配属期間最終日を迎えた。

 

このツケはどっかで支払うことになるだろうと思っていたが、流石にこのままでは研究実習の単位が貰えないのは分かっていたので学年主任の先生に相談をした。すると非常に真摯に相談に乗ってくださり、どうにか研究室の単位は貰えそうな流れになった。1月くらい研究室に登校は出来なかったが、その前の行けていた期間に真面目に勉強をしていたのが良い方向に働いてどうにか研究実習の成果発表も迎えられそうであった。

 

8月、夏休みは頭を空っぽにして全力で楽しんだ。毎日のように予定がありそこら中で色んな人と遊んだ。いつもの顔ぶれも、コロナ禍以前、いや高校卒業ぶりの再会を果たす人もいた。

 

8月末、後期の大学が始まった。8月1ヶ月間遊び続けて鈍った体はなかなか大学に慣れることを拒否したが、それでも最初は体に鞭打って登校を続けた。

9月に入り、目の前にやることが山積していた。研究実習のまとめ報告書を英語で書かなければならず、また部活動の方も楽譜を書くとか他にも実習の予習やその他諸々やることが山積みだった。なかなか先の見えない生活をしていた中日々大学へ行きたくない気持ちが膨らんでいた。まず大学での人間関係。夏休みの間に変化した友人間の友人関係についていくのが本当に面倒、大学でそんな風に気を回していてはすぐに疲れてしまう。それにそんなときに頼れる存在の欠如。長く友達でいた連中は一個上の学年にいってしまった。友達がいないと頑張って登校しようというモチベーションにならない。もちろん僕には幸いなことに心配をしてくれる友達はいるのだが、彼らはまだ知り合って4ヶ月程度の仲、何でも話せるし相談できるような気分ではない。また課題が山積していたのもよくなかった。物事の優先順位を付けるのが下手くそな僕はまたいつものように課題を先延ばしして目先の楽しいこと、楽なことを選ぶ。また人から誘われたり期待を含ませるような言い方をされたりすると僕は絶対に断れない。結局そうやって使える限られた時間を周囲のためにまず使い、最後に自分の時間を持ってこようとするもんだからどんどん夜更かしするようになる。当然だが疲労が溜まって朝起きるのが本当にしんどかった。でも自分を優先することが僕は絶対にない。コロナ禍でうつ病になったときに自我と自己肯定感を失ってしまった僕にとって自分はただのそこら辺のモブでしかなく、周囲の役に立つことにしか生きる意味を感じられない。だから周囲に困っていたり悩んでいたりしんどそうだったり構ってほしそうだったりする友人がいたら身を削ってでもどうにかしたくなってしまう。そして最後に恋愛がらみのパンチを食らいとうとう僕は再起不能になってしまった。

 

でもこうやって書いているのは所詮自分を正当化しようとしているだけの話なのだ。僕は分かっている。僕は一度うつ病適応障害のレッテルを手に入れてから何でも都合よく解釈し自己を防衛してきている。こんなのはただの甘えぐせでしかない。本当はみんな生きていく中でたくさんの困難に直面してそれを何食わぬ顔をして乗り越えている。だというのに僕は毎日の中で楽しいやりたいことだけやってやりたくないことばかり都合のいい言い訳をして避けている。本当に甘えているだけなのだ。

 

いよいよ実習の出席が足りなくなった。先生にメールで確認をするがたぶん足りていないと思う。春からどうにか作り上げてきた僕の張りぼての順風満帆な人生はつまようじでつつかれただけであっさりと萎みただの紙屑になってしまった。

 

本当に散々相談を聞いてもらっている友達や救おうとしてくれている先生、そして何より散々支援し支えてくれている親に申し訳ない。

 

どうしたらこんな甘えぐせはなくなるのだろうか。せっかく半月前まで楽しい気分で生活してきたというのにたったこれだけのことで僕の毎日は灰色になってしまった。毎日どこか歯車が噛み合わないような気分で過ごしている。一人のときに考え事をするとマイナスなことしか出てこないし、昨日は留年して殴られる夢を見た。人間という生き物は、と括るのはさすがに傲慢か、僕という人間はあまりに脆すぎる。元気に生活するためのコツは掴んだはずなのに課題、人間関係、生活リズム、登校と様々なストレスに直面しただけであっという間に崩れ落ちてしまった。ストレスを明確に感じるのはなかなか久しぶりな気がする。夜は寝たくないし寝れば逆にいつまでも寝てしまって起きられない、楽しいことが考えられない、無限に食欲が湧く。いっそのこと体なんて壊れてしまえば楽なのだが。でもこうやって周囲に心配をかけるようなことだけ言って結局僕は生きてしまうのだ。どうしようもない人間なのだ。

 

人に相談をしたら、とかも思う。でもこの時期友達はみんな忙しいのだ。そもそも高校の連中は就職したか大学院生、学会で活躍する話なども小耳に挟む。大学の友人は実習中で忙しいかやることに追われ忙しい。僕が気軽に大事なときに人を頼れる人間ならこんな風に最初からならないのだ。そのくせ根が真面目だからズルをしてやることを減らすなど心が許さない。やるなら100やらないと気が済まないのだ。じゃあ100の反対は?そう、0になってしまう。だからやれないときは全て放り投げてしまう。

 

僕にとって友達というのは大切な存在で、何よりも大切なのだ。だからこそ友達が忙しそうにしていたり困っていたりしんどそうにしていたらたとえ自分がやることが溜まっていてもしんどくても助けの手を差し伸べてしまう。どんなにやることが溜まっていてもそのしんどさを同じくしんどそうな人の前には出したくない。代われることがあれば代わってあげたいし、実際に手伝うこともたくさんある。心配な友達がいれば自分の時間をたくさん割いて元気かどうか確認したくなる。

7月くらいから見て見ぬふりをしてきた僕が抱える最大の問題、それはたぶん自我と自己肯定感の欠如なのだろう。どれだけ人から褒められても本当に一部の機会を除いてお世辞程度にしか思えない。何かを決めろと言われても自分なんかが、と思って何も決めたくない。

高校時代の僕は挫折知らずで自信に満ち溢れていた。自己肯定感もこれ以上ないほど持っていた。だから友達の中ではみんなを先導して率先して色んな事を企画する立場だった。でも今はもう、僕がやってもなあという不安に駆られて足がすくんで動かない。一度喰らった言葉の暴力は僕の有り余る自信を全てどっかにさらって行ってしまった。たった一度、たった一度大切な親友から言われた心無い一言は僕の人生を破壊してしまった。本当はこれも書きながら自分のせいなのに人のせいに責任転嫁している、と冷めた目で客観的に自分を見る自分がいる。自己否定というのは始まるとキリがないのだ。

 

本当に大学に行くのがしんどくて、仮病を使って昨日までは欠席しても単位取得に響かない出席停止にしていたがいよいよ今日から大学に行かなければならない。せっかく実習は楽しいのに大学に行きたくない。欠席を重ねれば重ねるほどどうせ学年ですぐ噂になる。そういう目で見られるのも本当に嫌だ。教室に入る度にそうやって「そういうやつ」扱いされるのは勘弁してほしい。先から述べているうつ病になったときの名残で今でも他人の目が怖い。信頼できるコミュニティ、例えば部活のコミュニティ内なんかはいい人しかいないのが目に見えても人からの話伝いでも分かるからいいのだが、全く新しいコミュニティは本当に怖い。いつ誰からどんな風に見られてどんな風に噂をされているのかが気になって仕方がない。

思えば人からの目を気にして生きてきたのは小学生、いや幼稚園生の頃から変わっていない。幼稚園の年長くらいの頃から今まで生きてきて言われた悪口はほとんどすべて覚えている。覚えていなくとも自分の中でそれは劣化したセロテープの粘着面のようにベトベト僕にくっついていて離れない。僕が上手く笑えないのは小学生の頃に歯磨きをサボって前歯が虫歯になってその治療跡を人に指摘されたからだし、そういう話がいくつもこびりついて今の自分を形成している。

ああ、今日は午後から実習だけどまた寝たら悪夢でも見るのだろうか。大学に行ってしばらく見なかったけど何があったの?みたいな反応をされるのも考えるだけで憂鬱だ。またよく分からないことに誘われたり、よく分からないところで自分の時間を消費してしまうのも嫌だ。断るのにもものすごいパワーが必要だというのに。とにかくまずは昼夜逆転を直したいがそれも既に3時半、時すでに遅し。

本当に何をしても許してくれるくらいの信頼できる人がほしい。僕は自分の話が長い人だからひたすら話を聞いてくれるだけでいい。実際そういう人がいないわけではない。でもそういう人の時間は僕が占領していいものじゃない。既に結構な時間を僕のために割いてくれていて、これ以上はもう頼れない。頼れすぎるからこそこれ以上頼ってはよくない。ここまでの手詰まり感は久しぶりだ。

 

取り敢えずやることを一つずつ消化しなければ。まだ救いなのは楽しい部活動はやれているし、部活を楽しいとはちゃんと感じられている。最悪路頭に迷ったとしても僕には打ち込めることがある。自分でやらなければならないことはちゃんと把握しているし、それぞれどの程度重症かもわかっている。とにかく一日を頑張って生きなければ。生きることを諦めたくなる日もあるがそれこそ親不孝だと思う。どこまでも続く夜の暗闇にふらり惹かれるときもどうにか自分を応援してくれる人の存在を思い出して気を確かに生きていこうと思う。

 

こんな記事を書いたことが1か月後に馬鹿馬鹿しく思えるくらいになれたら最高だ。僕は僕なりに毎日どうにか頑張っているつもりだ。どうか僕の頑張りを誰かが肯定してお疲れ様、ありがとうと声を掛けてくれますように。