おふとんの日常

blue-pink-sky’s diary

空振り三振からの

直近いいニュースがない。この前は3日連続で特大ジャブを食らってメンタルボコボコだったしろくなことがない。

 

オーディションはまあ順位をつけるという性質上当たり前だが1位から最下位までがつけられる。これは結構残酷で過程を無視し結果だけを重視している成果主義がオーディションだからどれだけ頑張っても頑張らないで結果が出せる人には適わない。

 

なぜ人生は与えられるもののところにはとことん与えられそうでない者には求めても与えられないんだろうか。歌が歌いたいたったそれだけのことなのに叶わない人がいる。この人と一緒に歌が歌いたいたったそれだけのことなのにある日突然取り上げられる人がいる。人生は諸行無常、当たり前のことは本当に当たり前ではない。

 

大学に入ってからというもの、どんどん歳を重ねてきた。18歳だったのが19歳になり、成人を迎え、体も心も成長しないのに年齢の数だけどんどん大きくなっていく。歳を取ると背負うモノが大きくなる一方で多くのものを捨てながら歩くことになる。僕の場合は責任を背負って自我と自己肯定と欲望を捨てた。自分が何かをしたいと思ってもそれが社会の誰かの迷惑になる可能性があるならやらない。こうしてどんどん自ら夢を切り捨てていった。でも夢が夢じゃなくて現実になることもたまにやってくる。

大学に入った年、初めてプロアカペラのカバーを生演奏で聴いた。生で聴くアカペラは迫力がすごく、僕は自分の卒業までにその同じ曲を演奏すること、あわよくば最高のクオリティで演奏すること、そしてもし叶うのならば卒業時のライブでその曲を最高クオリティで演奏することを大学生活の夢であり目標としたのだった。

でもプロアカペラの曲はとてつもなく難しくまた楽譜を採譜するのが手間でメンバー集めも大変、ずっと叶わぬ願いとして心の奥底にしまわれていた。

 

転機は今年の春、新歓合宿で組んだバンドがなんと憧れのその曲をやるという。なんという運命か、5年目にしてようやく機会が巡ってきた。一緒に組んだメンバーは全員が偶然にも凄腕、特にトップ(合唱で言うところのソプラノ)を務める子はとんでもない才能の持ち主だった。その歌声や歌う姿にすぐに目を奪われた。新歓合宿のうちのバンドは明らかに他のバンドより気合が入った演奏をしてすぐさま話題になった。そして合宿の終わりに後輩たちからの提案でバンドが今回限りじゃなく長く続くこととなった。

 

コンスタントに練習を重ねていく中で僕の心には散々諦めようとしたが諦めきれない夢が再び浮上してきた。このバンドには今年度で卒業を迎える先輩が2人おり、彼らが卒業引退した後、後輩を誘って人員を補填しもう一度プロアカペラカバーのバンドとして始めたい、という野望だった。しかもバンドメンバーはこのバンドのことが好きであろうことが日常から見え隠れしていたのでたぶん誘ったら断られないであろうことが想像ついていた。

 

ところがつい先日、練習で集まった僕らに告げられたのは解散宣言だった。しかも1か月後とかじゃなくてたったの2週間後の話だった。メンバーのソプラノの子が諸事情あって抜けざるを得ないとのこと、部活までやめてしまうらしい。

 

せっかく掴みかけた僕の長年の夢は塵となって飛ばされていった。

 

僕はもう今後プロアカペラのカバーはあんまりしたくない。そのソプラノの子は本当に神様に授かったような才能でとんでもないくらい上手に歌いこなしてみせる。たぶん卒業までに、いや下手をしたら一生彼女より適任な人物に出会うことはない。それならばもうやる意味はない。

 

僕も、彼女も、他のバンドメンバーたちも、みんなこのバンドが好きで、そして解散の話をしていたとき、聴いていたとき本当に辛そうな顔をしていた。本当はみんなもっと歌いたいはずなのに、そんな簡単なことが叶わない。なぜいつも本当に一番欲しいものだけ手に入らないのか。人間の人生なんてそんなものかもしれないが、でもなんで今。せめてあと1年はやりたかった。1年も練習したらきっとどこでも出せるくらいのクオリティになっただろう。もっと歌いたかった。もっと彼女と一緒に歌を歌いたかった。たったそれだけのことだというのに。

 

夢は儚いから夢なのかもしれない。でも諦めることに慣れてしまった僕がめずらしく諦めたくないと思った夢。そう簡単に気持ちの整理がつかない。その知らせを受け取ってから毎日そのバンドのことを考えている。なぜ一緒に歌を歌うことすら叶わないんだろうか。