おふとんの日常

blue-pink-sky’s diary

がんばり

5月、誰かのためにしか頑張れない僕は頑張る目的を見つけた。そこからの毎日は努力を欠かさない毎日だった。勉強、見た目、私生活、家事、人間性、部活・・・、頑張れるものは全て頑張った。自分磨きと言われるやつ。まあでも当然ながら僕はすぐに120%の力で頑張る癖があるのでガス欠になって萎んだ風船のようになった。

 

気付けば10月。あれから4か月半。僕は頑張る目的をなくした。誰かのために頑張るという誰かを失ったこと、そして努力に裏切られたこと。僕には才能がない。何の才能もない。生まれてから今まで才能で何かを乗り切れたことはない。運動は音痴だし勉強はそこそこ、習い事もだいたい大成せず写真もセンスはなく音楽もひたすらに感覚と呼ばれるところが何も分からない。

 

絶対音感相対音感という言葉をご存じだろうか。絶対音感は世の中に溢れる様々な音が音階で聞こえる人のこと。これはある程度先天的で幼いころからいかに音楽に触れてきたかがモノを言う。相対音感はこれとはまた別で、相対音感の人は相対的な音感しかもっていない。絶対音感の人がどんな時も(例えばどんな曲が流れていたとしても)ドと言われたらドの音が分かるのと違い、相対音感の人はあくまでも相対的なドの音しか分からない。だから相対音感の人が絶対音感になるのは無理なのだ。

でも実は相対音感も鍛えまくって耳が良くなれば、疑似的に絶対音感になることはできる。どういうことかと言えばさっき言ったように絶対音感の人は絶対的な音階を持っている。だから要は相対音感の人が本気でドレミファソラシドの音階を暗記してしまえばいいのだ。そしたら絶対音感ではないかもしれないが疑似的にほぼ絶対音感が出来上がる。ここに必要なことはただひたすらに努力である。

 

なにが言いたいか。僕には才能がない。でも頑張って努力をしたら疑似的に才能がある人の物まねができるかもしれない。僕には努力しかできないのだ。

 

大学に入りはや5年目、部活は気が付けばあと2ヶ月で最上級学年になる。思い返せば1年生だったというのにもう5年目。先輩としての振る舞いを考える時期になった。1年生の頃は努力をすることや結果が出ることが褒められる頃だった。でも5年目になって先輩に求められることはただ結果が出せることだけだ。どんなに頑張っていても結局結果が伴わないならダメなのだ。結果を出すために一番早いのは才能があること。単純に努力しなくても上手いならそれで問題ない。そもそも5年目にもなれば何でもできて当たり前、できないことがあればむしろただただ指摘される。出来ないところは誰も見てないところでひたすら努力して出来るようになるほかない。

 

今大学で音楽をやっているが僕は大学に入るまでほとんど音楽経験がないので周りのみんなより圧倒的に知識が足りていない。それに僕のやっているアカペラというのは軽音楽のバンドを全て人間の口でまかなうというもので、パートに分かれて歌う。だからベースだったりドラムだったりも僕らで演奏をする。僕は先輩としてリードも、コーラスも、ベースも、パーカスも、全ての面倒を見てあげられないといけないし、音楽の理論的な話も分からないといけない。なんなら自分でどのパートが飛んできたとしても完璧にこなせなければいけない。

 

先日のオーディションの結果は散々だった。一番通りたかったバンドから落とされた。僕が散々重ねてきた努力はシャボン玉のように消えていったように思えた。

 

今日(もう立派に昨日だが)はイベントがあってそこでメンバーと演奏をした後、夜は次のオーディションに向けた動画と音源を録るために別のバンドで練習をした。結局11時近くまでかかったが音源と動画を無事に、しかも納得できるクオリティで収録することができた。これに満足がいったので仲のいい部長にLINEで「ねえねえ、みてみて」と送ってみた。そしたらひとつ前の記事に書いた今度解散してしまう僕の愛してやまないバンドでやってきた練習が実ってますね、という旨の返事が来た。

 

本当にうれしかった。まず結成したばかりの後輩たちとやっているバンドでここまでのクオリティのものが短い期間で完成したこと。ちゃんと後輩を育ててあげられているという確かな実感と、自分がやりたかったことをひとつ達成できたという手ごたえ。そして前回のオーディションで落ちてしまったが解散になるバンドでやってきたこと、その努力は無駄になっていないということ。そして努力を単純な結果だけでなく他のところで活きていることを認めてくれたこと。たったそれだけの話かもしれないが、僕にとってはすごくうれしかった。ずっと誰かに認めてほしくて頑張ってきた。でも誰かに認めてもらうのは本当に難しい。誰も自分なんか視界に入っていないんじゃないかと思う日もある。でもそれでも僕には努力することしかできないから、今日もがむしゃらに努力し続ける。